2016年01月

出航前日レポートです。もう今頃フィリピンに向けて出国したかな。
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1月 29日

4日間の滞在予定が一週間を超えたために、やっとこの街が体に馴染んできた。
ここのところ、私は毎日castle hill に登ることが日課となり、古川課長は何かしら新しい発見を試みて街を歩いている。
2日前などの課長は、castle hill の麓を半日かけて一回りしてきた。涼しい巨大ショッピングモールやローカルが集まるフィッシュアンドチップスの店を見つけたりしてきたようだが、やはり夕方に出た海岸線が一番気持ち良かったらしい。しかしこの海岸、綺麗なビーチが続いているのに海に入っている人は一人もいないという不思議な場所なのだが、その理由は毒クラゲと毒エイがウヨウヨいるためらしい。課長のレポートによれば、海岸の一角には名所となっている?Rock poolと呼ばれる海水を取り込んだ池のようなプールがある。そこでなければ、ビーチに四方30mほどの囲いを作った場所でピチャピチャと浮いているしかないという。
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  毎朝、私と課長はすぐ近くにあるcafe Bambini に出掛けるのが日課となった。とても感じのいい女性の店員ばかりで、flat white もcaffe latte もcappuccino もとても美味しい。シドニーからカフェ巡りをしている私たちはすっかり研究家気取りでいるのだが、ここはwifiがフリーなこともあってあっという間に昼まで過ごしてしまう。しかしcafe というかお店というのは、つくづく美味しいとか安いとかだけではいけないんだなあ~と思う。ここの店員の笑顔を見ると、「今日も良い朝が始まったな」なんて柄にもなく感じてしまうからだ。飲食のお店というのは、色んな意味で人を気持ち良くさせてなんぼなんだ。勿論、ウマいマズい、高い安いも重要だが……。
 そんなわけで、明日1月30日の出港が決まり我々2人は名残惜しくなってきたBambiniで最後のflat whiteとcappuccino を飲んでいる。ホール係の女性が「coffeeって日本語でどう書くの?」と聞いてきたので一通りのメニューを書いて渡した。その代わりに「Bambiniってどういう意味なの?」て聞いたんだけど「さあ…Google してみて」と言うので古川課長が調べてみるとーー幼児、赤ん坊たち、Bambinoの複数形、とあった。まあ、精神的に大人になりきれない我々が来るには丁度いい名前の店なんだな……。いや、我々じゃあなくて私と言い直そう。

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 唐突に課長が、「明日からまた世捨て人ですねえ……」と呟いた。
「何言ってんの、今もそうでしょう」と私が言うと、
「いや、今はまだこうして世間に繋がってるじゃあないですか、wifiで……明日からまた…」
そうなんだなぁ…さすがの課長もそろそろ社会シックなのかもなぁ…。
考えてみれば私も課長も大学を出て以来、いた場所は全く違っても、まともに社会と繋がったことがなくここまでやり過ごしてきてしまったのだが、そろそろその疲れが出てきているのかもしれないなあ。ただの旅の疲れではないような気がする。お互い……。
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  さて、明日から約3200マイル(5700km)の非日常のヨットの旅に出る。サイクロンにビビりながらパプア・ニューギニアを抜けて赤道無風帯を越えれば懐かしい北半球の海だ。次の寄港地はフィリピンのスービックである。
  その時、また…。

ハラケン

ヒマでヒマで....というコメント共に今日もブログ記事が送られてきました。
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Townsvilleに入港した翌日にcastle hill に登って以来、出港計画が変わって滞在が延びたともあって、この街での生活は退屈を極めていた。なにしろ日中は暑い。暑くて人も店も何処も彼処も休止している。その無機質な街の様子はLas Vegas に似ているな、と思った。あそこの場合は暑さではなくカジノに人が流れてそれ以外の街には人がいないのであるが……(ここTownsvilleにも実は小さなカジノがあった!)ここの場合は太陽の熱が人を建物の中に閉じ込めている。
  午前中のやや涼しいうちは近くのオープンカフェで時間を潰して、昼メシを食べに宿に戻る。男3人では息が詰まりそうな広さの宿だが、物価の高いここでは自炊は必須であるし、エアコンとファンという大切な友だちが待っているのだ。
  簡単な昼食を済ませて2段ベッドに横になる。何もすることはないのだが、午後は停めてあるヨットを確認しにハーバーへ向かう。起伏の大きい道を真っ直ぐ進めば10分ほどでたどり着く。ヨットに上がりハッチを開けると熱気が溜まっているのでしばらく風を通してやる。30分ほどして残りの滞在分の食料や水分をバックパックに詰め込んでヨットを後にする。宿に戻って食材を収めると、再びベッドに仰向けになって息をつく……。
  ウトウトしてから時計を見ると午後4時だった。陽は少し傾きかけて、壁に当たる陽だまりの場所が高くなっていた。私はもう一度外に出てみた。近くにあるカテドラルに向かった。この街はサイズの割りに教会が多いのだが、その中でも一番大きくて立派なやつだ。入り口でその高い塔の先の十字架を見上げると、その先にはCastle hillがそびえていた。私は急に、もう一度登ろう、そう思った。前回とは逆ルートで登ることにした。まずは頂上まで通じている自動車道路を進んで前回の降り口に出た。するとそこには仕事を終えたらしい地元民らしき人々が思い思いのコスチュームでラッシュアワーさながらの混雑を見せていたのだ。
  一人でアスリート風や二人組の世間話に花咲き風女子、家族の日課風や登山デート風などなど様々な人々が私を追い抜いていった。私のスピードは、相当に鈍く、かなりの新参者に見えたはずである。まあ、その通りなんだけど……。

  息も絶え絶えになりながら、私は走ることが日課だった中学の頃を思い出した。サッカー部に所属していながら、鬼顧問のいた陸上部と駅伝部にも駆り出されて、毎日の練習は過酷を極めた。それでも私は、誰よりも速く走る、ということが自分にとっての絶対的な存在意義のようなものに感じていたから、苦痛というよりは自分に課されたタスクのようなものだったのだと思う。
  授業が終わればまず、1500mのタイムトライアルを2本。それも5分を切らなければならない。インターバルも5分だった。それからサッカーの練習となる。私は所謂、お山の大将だったから口で言う分サッカーの練習で手は抜けなかった。そして、殆どの部活動が終わる頃、特例を認められていた駅伝部の練習が再開する。住宅地に設定された一周1500mのコースを時速20kmで追いかける鬼顧問が乗った原付バイクに追い抜かれずに3本走る。抜かれたら後で追加となる。そのインターバルとして時速10kmに落とした原付バイクに突つかれながらのジョギングが2本入るので、合計1500mのコースを最低5本走った。そして最後は、中体連の大会距離である4kmのコースを13分台で走れば終了となる。夏休みになればその練習量は倍に増えた。
   3年生になった夏、私の中学は県大会で快走し、優勝を目前にした最終区間の1つ前でエースであったはずの私が大ブレーキとなりアンカーの挽回も虚しく2mの差で2位に終わったのだった……。

  気がつけば、道の勾配は急になり頂上に近づいていた。顔を上げると、前方から黒のレオタードに身を包んで軽やかな足取りで降りてくる美しい金髪のマダムがサングラス越しに微笑んだ。我に返った私は少し背筋を伸ばして歩くスピードを上げてすれ違った。すると、鼻をついて甘くて軽やかなジャスミンのような香りが私を包み込んだ。何歩か進んだ後、私は我慢できなくて振り返り、その後ろ姿を見送った………。

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登頂後、冷水が出る水飲み場で美味しい水をたっぷりと飲んだ後の帰り道は自動車道路を選んでみた。すると、またもや様々な人々に会うことができた。
  楢山節考風に子供を背負ったお母さん。双子を乳母車に乗せて子連れ狼風のお母さん。因みに乳母車の子供達は迷惑そうに鳴いており、お父さんは我関せずといった風で先を行っていた……。路面が熱いだろうに無理矢理付き合わされて可哀想な犬たちはこれ以上出ないほど舌を出していたが、一匹だけ飼い主に背負われて涼しげな顔の犬もいた。これは周りの失笑を誘っていたね。そして店の広告塔オヤジや、これから飲むビール分の汗をかくオヤジ4人組などなど……。

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海を見渡すと、レースをしているらしい白い帆が同じ角度で帆走っていた。まだ北風が続いているようだ。
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そんな人々や景色を眺めているうちに、この街が私に近寄ってきてくれたような気がした。
 私は多分、明日もこの丘に登っていることだろう。


ハラケン

 
 

ハラ先生連続投稿です。暇すぎて筆が進むそうです。

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古川課長は何もカフェや食べ物屋だけをリサーチしているわけではない。
彼は回航で寄港する街を事前に調べ上げて、その寄港地に着くとまるで1度行ったことがあるような口振りでその街の様子を話し始める。
彼は私と違って、この回航を仕事ではなく楽しみとして乗っているわけだから、寄港地での散策や様々なものや人との出会いもまた、海とは別の楽しみなのだろう。これまでも、今も、回航に乗るためにいつでも辞めることのできるバイトをしている人なのである。本当に好きなことは趣味にしなさい、という先達の格言をちゃんと守っている達人である。

今回もまた入港直前に、目の前の赤茶けた山を見つめながら呟いた。「まずはキャッスルヒルズデスね~」
「えっ、そんな名前のカフェでもあるの?」と私
「いやいや……あの山ですよ。街の真ん中にある」
見上げれば、イヤでも目に飛び込んでくる剥き出しの山、というか丘があった。
「この街はあそこに登れば全てが見渡せるそうです」
課長はもうその景色を見渡しているような顔をしてそう呟いた。
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入港翌日、森隊長は午前中に一足早く一人で家を出た。我々2人は昼メシを食べてからということになった。私は登頂を前に軽めの食事にしたのだが、課長の場合はその逆にいつにも増して大盛りのご飯と肉野菜炒めと戦った。山登りたちは、そこに山があるから登るんだ、と言うけれど、課長の場合は、そこに飯があるから喰うんだ、と言わんばかりである……。
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外に出れば灼熱地獄が待っていた。なんと言っても真夏の南半球の南緯19度である。あたりマエダのクラッカーである。
私は徐々に遅れ始め課長の背中が遠のいていく……。少しすると課長が笑って待っている。そういえば、課長は高校時代には山岳部に所属していたのだ!ペースを崩さずに同じ歩調で登っていく様はなんとなくそれらしい感じである。
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見た目通り、かなりの勾配が続いたので短時間でかなりの高度を稼いだらしく、私の膝はガクガク言い始めた。しかし課長は涼しい顔で私のペースに合わせてくれていたようだった。途中で一足先にサミットアタックを済ませた森隊長がより一層軽い足取りで降りてきた。これまたボーイスカウト出身だという森隊長と古川課長の2人が山登りのベテランチックな会話をしている間、私はここぞとばかりに腰を下ろして休んだ。俺だって若い頃はよ~~、なんて言いたいのを飲み込んでひたすらへたり込んだ……
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北に見えるマグネティックアイランドを観ると、手前を追手の風で帆走るヨットが見えた。そしてその風が身体を冷やしてくれた。気がつけば、もう頂上はすぐそこだった……。
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頂上では、やはり予想通りに360度の視界が開けて、タウンズビルの街とグレートバリアリーフへと続く典型的なエメラルドグリーンのコーラル海が一望できた。
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こちらはリオデジャネイロ
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……じゃねえよ



下山途中で、山の一番の絶壁を見上げるとこんなオモロイ絵が描いてあった。これを描いた人があの世に逝ったのなら笑ってあげても良い気がしたけど……
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そして帰り道、私は知らぬ間に「帰ってきたヨッパライ」を口ずさんでいた…


ハラケン

Townsvilleに到着したサケダイスキから「ケンのシドニーカフェ巡礼記」が届きました。

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あまりハッピーとは言えない結末を迎えた今回のシドニーホバートへの挑戦だったが、シドニー帰還後に行われた邨瀬オーナー主催のディナーにて次回のレースへの再挑戦が発表されて、我々クルーたちの心の置き場所が出来て救われた気がした。
年末から年始へと忙しなく時が動く間、予定通りのフライトだったり、フライトの予定を早めに変更したりしてメンバーが次から次へとあっという間に帰っていった。そして気がつけば、最後の宿泊ハウスとなったAnnandale の一軒家には座長、課長、モリ、ハラの長いこと見慣れた顔ぶれだけとなっていた。この家のオーナーは建築家というだけあって3軒のうちで最も快適でオシャレな宿泊施設だった。そして、ついに1人に1個のダブルベッドが充てがわれた。
物価が恐ろしいほど高いシドニーにおいては、基本的にはずっと自炊生活で何も不自由がなかったが、タマには外で食べたくなるものである。そして今回の家で私と課長に火をつけたのはキッチンに置いてあったエスプレッソマシンだった。何度か試行錯誤するうちにかなり美味しいラテを作れるようにはなったのだが、もうひとつである。もっと美味しいラテが飲みたい……そうだ、Cafeに出かけよう、ということになった。
3年前のシドニーでも課長はbillsという、今では日本にも支店のある観光地になってしまった"世界一の朝食"を食べさせるという触れ込みのお店をリサーチしていたのだが、実は無類のCafe好きだったのだ。あの米喰らう姿を見ていると考えられないのだが……ヒトは見かけによらないのである。
というわけで今回も入念なリサーチをして、早起きしたり、暇になった午後に、最寄りのjubilee park駅から電車でcentral駅まで出て、最も激戦区であるsurry hillsを皮切りにCafe巡礼を始めたのだった。

まずはsingle origin roaster. ここは豆の栽培から焙煎までオリジナルで、日本のbillsにも卸しているらしい
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南半球では主流のflat white  ミルクが泡立ちすぎずにラテとカプチーノのハーフといったところ
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そして店の隣には繁盛しすぎてテイクアウト専門のカウンターが出来た
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2軒目はartificer.  ここは完全に飲み物…ドリップとエスプレッソ系…のみで勝負。共同経営者の1人は日本人。single origin roasterで修行した人でシドニーNO.1バリスタにも選ばれたらしい。
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シンプルな店内は近所のコーヒー好きが静かに過ごす場所といった感じ。課長も常連顏である……
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看板もないお店は開放的でシンプル。日本でも江戸時代の茶屋とはこんな感じだったのでは?
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我々は酸味のキツい浅い焙煎のドリップコーヒーを飲んだ後flat whiteのSを注文。やはりテイクアウトカップもシンプルでオシャレでした。
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その日の帰り道は課長がリサーチしていたもう一軒the reformatory caffeine LABにも立ち寄った
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ここでもflat white を飲み比べたが、遜色なし。
課長曰く「ミルクの甘みとエスプレッソの深みがどの店もオリジナリティーがあってオモシロイ」

また、別の日は1日オフだったので私と課長は別行動でCafe巡り。
課長はダウンタウンのチャイナタウンに近い、これまた名店の呼び声高い Mecca espresso へ。残念ながら写真を残せなかったのだが、課長の中ではここのflat whiteが一番美味しかったそうである。「エスプレッソのコクとミルクの甘みが絶妙デスね~~」とのこと。

私はシドニー到着直後に滞在していたbalmain地区の公園の近くにあった小さなCafeを再訪した。名前はthe little marionette 。可愛いアジア系の女の子が2人でやっていた。ここも近隣の常連客のみで、店員もお客も名前を呼びあっていた。
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私はここのスピナッチとフェタチーズのパイトーストにハマった。
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いつか、こんなお店を持ちたいな、なんて思うのでした……
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そして、こんなラテをもう一杯……
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年明けの暇な時間はこんな風に過ごしておりました。
1月12日には座長が帰途につき、ついに3人となった回航部隊は1月16日に、ヨットが傾くほどの燃料を積み込んで、長きに渡ったシドニー滞在を終えて北を目指して出港したのでした。

Townsvilleへの途中、往路の最終盤が嘘のように天候に恵まれました。
そして、神さまのちょっとしたご褒美なのか、久しぶりに海に溶ける夕陽を拝むことができました。
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Bengal7は1月23日午前8時Townsville、Brakewater marinaに無事到着しました。

1月23日午前8時現在
lat 19'15S Long 146'49E
天気:晴れ 気圧:1015hPa 風向:10度 風速:7kt 波高:0.1m
1月22日のデイランは140nm、23日は65nmでした。
艇体、クルーともに良好です。

明け方、まだ暗いうちにTownsvilleの入航路付近に到着。
明るくなって潮が満ちるのを待つため、一時間ほどのんびりと待機。
沖から見るタウンズビルの街はこじんまりとした感じですが、航路手前では商船が5隻ほど入港を待っており、ハーバーからは暗いうちから釣船らしきプレジャーボートが多数出入りしており海上は賑やか。

我々が入港したBrakewater marinaは商業港のすぐ西側。週末だからか、ここも朝から船の出入りが多いです。

Townsvilleは、チームの気象に関する超大御所、馬場先生より良い所だと聞かされてきた港町。Bengalとしては初めての入港。しっかりと三人の目で見てきます。次の出航は来週中頃の予定。その間にはオーストラリアの建国記念日、Australia Dayがあります。楽しみ。

Mori

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