ヒマでヒマで....というコメント共に今日もブログ記事が送られてきました。
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Townsvilleに入港した翌日にcastle hill に登って以来、出港計画が変わって滞在が延びたともあって、この街での生活は退屈を極めていた。なにしろ日中は暑い。暑くて人も店も何処も彼処も休止している。その無機質な街の様子はLas Vegas に似ているな、と思った。あそこの場合は暑さではなくカジノに人が流れてそれ以外の街には人がいないのであるが……(ここTownsvilleにも実は小さなカジノがあった!)ここの場合は太陽の熱が人を建物の中に閉じ込めている。
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Townsvilleに入港した翌日にcastle hill に登って以来、出港計画が変わって滞在が延びたともあって、この街での生活は退屈を極めていた。なにしろ日中は暑い。暑くて人も店も何処も彼処も休止している。その無機質な街の様子はLas Vegas に似ているな、と思った。あそこの場合は暑さではなくカジノに人が流れてそれ以外の街には人がいないのであるが……(ここTownsvilleにも実は小さなカジノがあった!)ここの場合は太陽の熱が人を建物の中に閉じ込めている。
午前中のやや涼しいうちは近くのオープンカフェで時間を潰して、昼メシを食べに宿に戻る。男3人では息が詰まりそうな広さの宿だが、物価の高いここでは自炊は必須であるし、エアコンとファンという大切な友だちが待っているのだ。
簡単な昼食を済ませて2段ベッドに横になる。何もすることはないのだが、午後は停めてあるヨットを確認しにハーバーへ向かう。起伏の大きい道を真っ直ぐ進めば10分ほどでたどり着く。ヨットに上がりハッチを開けると熱気が溜まっているのでしばらく風を通してやる。30分ほどして残りの滞在分の食料や水分をバックパックに詰め込んでヨットを後にする。宿に戻って食材を収めると、再びベッドに仰向けになって息をつく……。
ウトウトしてから時計を見ると午後4時だった。陽は少し傾きかけて、壁に当たる陽だまりの場所が高くなっていた。私はもう一度外に出てみた。近くにあるカテドラルに向かった。この街はサイズの割りに教会が多いのだが、その中でも一番大きくて立派なやつだ。入り口でその高い塔の先の十字架を見上げると、その先にはCastle hillがそびえていた。私は急に、もう一度登ろう、そう思った。前回とは逆ルートで登ることにした。まずは頂上まで通じている自動車道路を進んで前回の降り口に出た。するとそこには仕事を終えたらしい地元民らしき人々が思い思いのコスチュームでラッシュアワーさながらの混雑を見せていたのだ。
一人でアスリート風や二人組の世間話に花咲き風女子、家族の日課風や登山デート風などなど様々な人々が私を追い抜いていった。私のスピードは、相当に鈍く、かなりの新参者に見えたはずである。まあ、その通りなんだけど……。
息も絶え絶えになりながら、私は走ることが日課だった中学の頃を思い出した。サッカー部に所属していながら、鬼顧問のいた陸上部と駅伝部にも駆り出されて、毎日の練習は過酷を極めた。それでも私は、誰よりも速く走る、ということが自分にとっての絶対的な存在意義のようなものに感じていたから、苦痛というよりは自分に課されたタスクのようなものだったのだと思う。
授業が終わればまず、1500mのタイムトライアルを2本。それも5分を切らなければならない。インターバルも5分だった。それからサッカーの練習となる。私は所謂、お山の大将だったから口で言う分サッカーの練習で手は抜けなかった。そして、殆どの部活動が終わる頃、特例を認められていた駅伝部の練習が再開する。住宅地に設定された一周1500mのコースを時速20kmで追いかける鬼顧問が乗った原付バイクに追い抜かれずに3本走る。抜かれたら後で追加となる。そのインターバルとして時速10kmに落とした原付バイクに突つかれながらのジョギングが2本入るので、合計1500mのコースを最低5本走った。そして最後は、中体連の大会距離である4kmのコースを13分台で走れば終了となる。夏休みになればその練習量は倍に増えた。
3年生になった夏、私の中学は県大会で快走し、優勝を目前にした最終区間の1つ前でエースであったはずの私が大ブレーキとなりアンカーの挽回も虚しく2mの差で2位に終わったのだった……。
気がつけば、道の勾配は急になり頂上に近づいていた。顔を上げると、前方から黒のレオタードに身を包んで軽やかな足取りで降りてくる美しい金髪のマダムがサングラス越しに微笑んだ。我に返った私は少し背筋を伸ばして歩くスピードを上げてすれ違った。すると、鼻をついて甘くて軽やかなジャスミンのような香りが私を包み込んだ。何歩か進んだ後、私は我慢できなくて振り返り、その後ろ姿を見送った………。
登頂後、冷水が出る水飲み場で美味しい水をたっぷりと飲んだ後の帰り道は自動車道路を選んでみた。すると、またもや様々な人々に会うことができた。
楢山節考風に子供を背負ったお母さん。双子を乳母車に乗せて子連れ狼風のお母さん。因みに乳母車の子供達は迷惑そうに鳴いており、お父さんは我関せずといった風で先を行っていた……。路面が熱いだろうに無理矢理付き合わされて可哀想な犬たちはこれ以上出ないほど舌を出していたが、一匹だけ飼い主に背負われて涼しげな顔の犬もいた。これは周りの失笑を誘っていたね。そして店の広告塔オヤジや、これから飲むビール分の汗をかくオヤジ4人組などなど……。
海を見渡すと、レースをしているらしい白い帆が同じ角度で帆走っていた。まだ北風が続いているようだ。
海を見渡すと、レースをしているらしい白い帆が同じ角度で帆走っていた。まだ北風が続いているようだ。
そんな人々や景色を眺めているうちに、この街が私に近寄ってきてくれたような気がした。
私は多分、明日もこの丘に登っていることだろう。
ハラケン